あのひとが来て 谷川俊太郎 あのひとが来て 長くて短い夢のような一日が 始まった あのひとの手に触れて あのひとの頬に触れて あのひとの目をのぞきこんで あのひとの胸に手を置いた そのあとのことは覚えていない 外は雨で一本の木が濡れそぼって 立っていた あの木は私たちより長生きする そう思ったら突然いま 自分がどんなに幸せか分かった あのひとはいつかいなくなる 私も私の大切な 友人たちもいつかいなくなる でもあの木はいなくならない 木の下の石ころも 土もいなくならない 夜になって雨が上がり星が瞬き 始めた 時間は永遠の娘 歓びは哀しみの息子 あのひとのかたわらでいつまでも 終わらない音楽を聞いた