いえなかった そのひと言が いえなかった 講義は終わり ひとはまばらに そして君は スロービデオのように ゆるゆると立ちあがり 白いセーターのふくらみに 黒いコートをそっと羽織った 夢みるように 小さく吐息したあと しなやかな指が ひとつ また ひとつと ボタンをかけていった やがて指の動きがとまり 君はもの想いげに前を視 それでも何かをまっていた いえなかった そのひと言が いえなかった 僕は 赤くなり熱くなり 吐く息を白く震わせて 隣りで胸の鼓動を数えていた 突然 小さく口唇をかみしめると 君は蝶のように 身を翻えした あとには しーんとした大教室が広がり 僕のこころが 蛍光灯の光と 白さを競っていた ただ 与えるだけでよいのだ 得ようとするからこそ 苦しいのだ ただ 与えるだけでよいのだ 得ようとするからこそ 苦しいのだ