「ねえ、先生。 □□くん、私のことが好きだって。 うん、それは嬉しいことで、 ありがとう、って 笑うべきことなの。 わかってる。ちゃんとそうしたよ」 私は夏の空が憎かった。 私は夏の赤に嫌悪していた。 世界で一番大切な 家族がいなくなっていった日を 思い出すからだ。 その日は蒸し暑くて、 汗がじとりと伝う、あれは、 汗と他にもなにか、 それで、ええ、 君のことを思い出してしまうから。 思い出してしまう、思い出して。 思い出して、思い出して、 忘れないために。 だけど私が人であるために。 全てを塗り潰すしかなかった。 君はいない 影法師は君じゃない 大人になった 上手く笑えるようになった 「ねえ先生、 私はいつになったらあるべき 大人になれるんだろう。 悲しいことを 糧に生きるなんてかわいそうだし だからってお葬式で笑っていたら 怒られるじゃない」 「だから」 「ねえ先生、私、 正しくは 生きられているでしょう?」 彼女の大切な記憶は記録となり、 思い出は黒く塗り潰された。 それは彼女が生きるために必要な 治療だった。 大人になった今、 明るく笑える彼女を見て これは正しかったのだと強く思う。 「ああ、これでよかった」 言葉に出して、強く。 これで、よかったのだ。 その人の名前を、 記録としてしか知らない。 ■■は私の大切な人だった。 思い出そうとして出てくる微かな 声が、顔が、 いつの日か別の誰かにすり 替わっていた。 □□くんの手は暖かくて、 あの日握り返してくれなかった 彼の体温と、同じだった。 私を見上げる□□くんの目は 大きくて可愛らしくて、 いつも私の頭を 撫でてくれた■■の瞳と 同じだった。 柔らかく、優しく、 私を見下ろすその目。 あれ? 塗り潰したはずの記憶が暖かな 思い出に変わっていたとき、 私は気付いた。 「ねえ、先生。 □□くん、私のことが好きだって」 「どうしようね。 ねえ、どうしたらいいんだろう」 「私は彼の顔も 名前もわからないのに。 私はきっと、 ただ止まった時を 眺めているだけなのに」 「それでもいいんだって。 馬鹿だよね」 「でも先生、 ■■は馬鹿じゃなかったんだ」 「違う、って、思ったんだ」 「私の手を握ってくれるあの子が 居るこの夏が 記憶でも記録でもないあの子が 当たり前のことを教えてくれた」 「夏の空は青いんだって、 ようやく気付いた」 夏が好きだと笑った 無邪気な子供と呼ぶに相応しい 追い越したはずの背を 縮まらない年月を もう赤くない夕暮れを あの子のいないこの夏を 君は生きている 私も 生きている