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🍀母親の偉大さ…感謝 🍀いつもとは、違うプレイリストです。 全8曲、お母さんに関する内容。 MOTHERという曲名だけでも、かなりありました。 🍀私の母親が1月1日、元旦に亡くなりました。 そうです、毎年 元旦は、母親の命日になるのです。それもどうかな…危ないと言われた日は、大晦日。こちらも、どうかな… 母親の弟が、大晦日に来てくれて、元旦の朝に一旦家に戻る。 酸素マスクをし、話す事もままならない母親に、私が一方的に話すかたち。 親孝行できなくて、ごめんね…母親の足をさすりながら、伝えると涙がボロボロ。ポロポロなんて、ウソ。ほんと、悲しい限界はボロボロ。 母親との関係は、普通。私がもともと母親の事が、苦手だったのかもしれません。私は、どちらかというと、父親派。悩み事は、父親に話す。人に頼らず、自分で何とかする。寡黙な父親。母親は、誰かに頼りたいタイプ。性格は、人付き合いはいい。その反面、どこかキツく身内には、厳しいし、幼い頃に受けたいじめが、どこか他人には、バカにされたくないという信念がある。 愛情表現の下手な母親。 『大丈夫だから』と言う言葉を、聞いたことがない。心配はしてくれても、言葉がでない。 そのかわり、精神的に病んだ時、食べれない時に、栄養がたっぷりのおじやを作ってくれたり、眠れなくていても、『テレビつけたままにしておいたら』と言う母。ノルマに追われ、帰りも遅く、私は鬱病とパニック障害を発症。医師から、3ヶ月で鬱から出ないと長引くからと宣告。なんとか3ヶ月で、鬱病から脱出出来たのは、8割は母親の助け。1割は当時の彼氏。もう1割は、何か見えちゃう友達のおかげ。 母親、鬱病の内容を知らない。ただ、ご飯が食べれなくて、夜眠れない娘を心配したのでしょう。 母親は、モノを大事に、丁寧に扱う。 雑な私は、いつも注意されっぱなし。安易にものや服を買うのも、注意。 すぐに買うのではなく、何度か見て、自分に合うのか合わないのか、本当に欲しいかを考えてから買えと。 そんな事してたら、売り切れちゃう。で、買うでしょ。似合わないでしょ。似合わないから、着ないでしょ…母の言うとおりなのよね 髪の毛を金髪にしたいと言った時に、『すれば』と、止めないひと=それは母親。仕事上、金髪には出きるはずがないのに、そう言ったら、金髪にしたらいいんじゃない?みんなしてるじゃない…仮に息子がいて、タバコや酒、金髪にしたいと言っても、止めないだろう。むしろ、飲め、吸えと言う。母親の実の妹さんの息子さん(私のいとこ)は、母親の妹さんに『タバコ吸え、酒飲め』と言われ、両方しませんでした。 そんな母親が希少ガンになり、実際たちの悪いガン細胞で、転移をし始め、最終的に緩和ケアに移行。高齢者だから、抗がん剤は使えない。出きるところは、放射線。小線針での治療で副作用にも。足がパンパンに浮腫み、それが両足に。右肺に転移したガンは、放射線にも勝ち、肺が機能しない状態。 緩和ケア病院の入院は、拒否。 自宅で亡くなりたい 自宅で亡くなりたい 本人の希望 訪問診療、訪問看護、ヘルパー 最後の1週間、限界でした。 もちろん、母親はもっと辛く、せん妄にもなり、トイレに行けないから、オムツになり、でもトイレに行きたい。 一回、私は母親の希望でトイレに行かせようとし、ベッドから下ろしたはいいが、母親は歩こうとしても、歩けない。二人で床に倒れ混む。今度は、ベッドに戻せない。今家にいるのは、私と母親だけ。訪問看護を呼ぶか、ヘルパーを呼ぶか…。 勝手に動かしたのは、こちら。本来はオムツをしているのだから、トイレに行く必要はない。でも、私は行きたがる母親を、行かせようとした。 日本人の好きな、自己責任。 なんとか、ベッドに戻す。30分ぐらいかかったかな。私も、術後で左腕が、無理をすると痛い。でも、やりきりました。二人ともヘトヘト。 そして最後。 潔い亡くなり方でした。普通は、2~3日ぐらいもつそうですが、訪問看護士さんが来て、血圧計り、もうもたない事もわかりながらも、オムツを替える。 その日、看護士さんはうちの後に一軒予定が入っていたのが、急遽午前中になり、うちが最後に。来た時は目をパッチリした母、少し声を出して、伸びをする。ただ看護士さんは異変を逃さなかった。睫毛に触れても反応なし。その直後から、呼吸が止まりがちに。 やっと一回、間があり、また一回…何回も名前を呼ぶ。息して…また一回。 心臓が止まる…。 人が亡くなる瞬間を、ここで見るなんて。 母親は、私が1人は対応できないと思い、看護士さんが来るのを待ったのか…。看護士さんもまた、予定が変わったのは お母さんが、そうしてくれたのかな?と。 自宅で亡くなる人は、全体の2割。 在宅介護は、残された家族を巻き込み、本人と同様に、辛い思いもする 悔いが残る事 私は、在宅介護になった日から、母親のベッドの脇に布団をひいて、寝ていました。亡くなる5日前に、せん妄での『痛い、痛い』『トイレに行きたい』と、深夜連日起こされ、職場で居眠りをし、注意されて、2階の自分の部屋でねることに。寂しい、悲しいと言う母親の言葉を無視し、睡眠をとりました。 3日連続。4日目はまた隣で寝ることに。ただ、朝起きたら、母親鼻からの酸素をしておらず、これが体内の臓器に影響を与えて、死期を縮めた。なぜ、気づいてあげれなかったのか 12月27日、訪問診療の看護師から電話で処方箋をテーブルの上に置いたので、明日の朝、薬局に行って欲しいと、言われた。その2分後に、同じ診療所から 違うし看護師が、今日すぐ取りに行って下さい。 焦る…。薬局何時までですか? 取り返して、電話します。 電話がありました。明日で大丈夫です。 ふざけやがって💢 その時、買い物(食材)買って、お肉屋さんに並んでいた。 帰って来て、怒りを母親にぶちまけた。 『これが、在宅介護なんだよ。なんなんだよ』 『自分は、いいよ、寝てるだけなんだから』 イライラと精神的疲れ。キレて泣いて、母親は黙っていた。 母親が悪いわけじゃない 親孝行が出来なかったこと。 母親の幸せが何かを聞けず、何もしなかったこと。 痛くつらいとき、抱き締めてあげられなかった事。 話を、ちゃんとしなかったこと。 まだあるよ、きっと…。 日曜日には、母は 灰に変わる。
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