ハード・ロック入門編 シリーズ vol'3
……ハード・ロックじゃないんだけど…ま、特別編って事で😅
ホーンセクションが入ると、ジャンルを超えて行きますよね。
ロック文脈でもあり、ブラック・ミュージックっぽくもあり。
①『スピニング・ホイール』(68年)……ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ
ブルース・プロジェクトを脱退した
キーボードのアル・クーパーとベースのスティーブ・カッツ 。
ビッグバンド・スタイルのジャズと ロックを融合させ、
なおかつ クラシックをも取り入れようと《ブラスロック》の先駆けといえる ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズを結成します。
全員 白人のバンドで
トランペット 3人( ブレッカーブラザーズのランディ・ブレッカーも在籍 )
サックス 1人 というホーンセクションを持つロックバンドは 実に画期的。
しかし、1968年のデビュー・アルバム『子供は人類の父である』1枚で、アル・クーパーは脱退。
代わりのボーカルに デヴィッド・クレイトン・トーマスが、
また「シカゴ」のプロデューサー ジェームズ・ウィリアム・ガルシオが加わり
1969年、セカンド・アルバム『血と汗と涙』が完成。
全米2位の大ヒット曲『スピニング・ホイール』や『ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ヴェリー・ハッピー』『アンド・ホエン・アイ・ダイ』の名曲を生み出し、ブラスロックの代表するロックバンドになりました。
②『長い夜』(70年)……シカゴ
タイトルの意味を、作詞作曲のロバート・ラムは 時刻の事で 眠れない夜を歌っている と、言ってます。
《朝の4時まで 25、6分》……なんだよォ~、後ちょっとで朝じゃんかよォ~ ……って感じですかね。
この曲はセカンド・アルバム『シカゴと23の誓い』に収録されている シカゴの代表曲です。
実際 私にとって「シカゴ」と言えば『愛ある別れ』(76年) や 『素直になれなくて』(82年) のソフト路線なのですが、『長い夜』はべつ 😄
この曲は大好き!
『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』でも、スケートシーンに流れましたよね。
♪♪ 恋に~ ⤵︎ 揺れる~⤴︎
心ぉ~ ⤴︎ ひとつぅ~ ⤵
では ありません。……知ってる...でしょうね。😁これは松山千春 👍
この曲のプロデューサーは《ブラスロックの父》ジェームズ・ウィリアム・ガルシオ。
ボーカルはピーター・セテラ。
1970年6月にシングルリリース。
全米4位、全英7位。
『シカゴ 18』(86年) に、リードボーカルにジェイソン・シェフを迎え 再録音されてます。
シカゴの代表曲ですが、このブラスロック路線は、76年の『愛ある別れ』のシカゴ初の全米1位で 終わりを告げ
徐々にソフトロック、AOR 路線に移行していきます。
③『黒い炎』(71年)……チェイス
1970年に トランペット奏者 ビル・チェイスを中心に結成された チェイス 。
《追跡》じゃなくて、人の名前だったんですね。
特徴は ビル・チェイス他
テッド・ピアースフィールド
アラン・ウェア
ジェリー・ヴァン・ブレア
4人のトランペットのみの、ブラス・セクション。
1971年にファースト・アルバム『追跡』は全米アルバム・チャート 22位、26週チャートインのヒットアルバムになりました。
セカンドアルバム『ギリシャの神々 ( エニア )』(72年)
サードアルバム『復活』(74年) を発表。
精力的にライブ活動をしていた 1974年8月9日、飛行機事故で ビル・チェイス 他3名が死亡。
短いバンド活動は終わりを告げます……😥
この日本での題名『黒い炎』は原題の『 Get It On 』が、T・レックスの『ゲット・イット・オン』と被る為 この題にしたとの事。
アメリカでは、チェイスの『ゲット・イット・オン』がある為、T・レックスのは『 Bang a Gong 』に改題されてます。
面白いですね。
④『ホワッツ・ヒップ』(73年)……タワー・オブ・パワー
1968年、エミリオ・カスティージョ 他 ラテン系白人を中心に結成された タワー・オブ・パワー。
1970年、彼らは ビル・グレアムが経営する《伝説のライブハウス》フィルモア・ウェストで、ジミー・ヘンドリックスの前座を務めます。
好評だった為、ビル・グレアムのレコード・レーベル《サンフランシスコ》からファースト・アルバム『イースト・ベイ・グリース』をリリース。
次にワーナーと契約 72年にセカンドアルバム『バンプ・シティ』を発表。
73年にサードアルバム『タワー・オブ・パワー』を発表。
このアルバムから、全米17位になったシングル『つらい別れ』や『ホワッツ・イズ・ヒップ』によって知られるようになります。
日本とも縁があって、かまやつひろし、RCサクセション、中村あゆみ などのアルバムにホーンセクションとして参加してます。
⑤『ドント・ユー・ケア』(67年)……ザ・バッキンガムス
1966年に、カール・ジャメリースを中心に「ザ・センチュリーズ」「ザ・プルセーションズ」と名前を変え活動してきたシカゴのバンドを
レコード会社のお偉いさんの意向で、イギリスチックなバンド名になったそうで
名をザ・バッキンガムスに改め、67年『カインド・オブ・ドラグ』をリリース。
同年 コロンビア・レーベルに移籍、「シカゴ」や「ブラッド・スゥエット・アンド・ティアーズ」の《名伯楽》ジェームズ・ウィリアム・ガルシオ プロデュースの2作目のアルバム『タイム&チャージ』
キャノンボール・アダレイの大ヒット曲に、歌詞を付けた『マーシー、マーシー、マーシー』が全米5位。
ブラスロックの先駆け的なバンドとして、名を残しました。
今も、活動中です。
⑥『ヴィークル』(70年)……アイズ・オブ・マーチ
バンド名の「アイズ・オブ・マーチ」は、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』で、カエサル( シーザー )が 占い師から
「3月15日に御用心」
と忠告される処からきてます。
「 Ides 」は、古代ローマ暦で 3 5 7 10 月 の15日、その他の月の13日 を指し、それの「March」だから「3月15日」になります。
その日にジュリアス・シーザーは暗殺され
「 Et tu ,Brute !」「ブルータス、お前もか!」
というセリフになる訳です。
不吉なバンド名ですね。
(イードゥスはラテン語読みで、英語はアイズで良いとの事……らしいです😅)
ジム・ピートリックがリーダーのシカゴのバンド「アイズ・オブ・マーチ」は、66年にパロット・レーベルから68年までにシングルを5枚リリース。
69年にワーナーと契約、70年に第2弾シングル『ヴィークル』が全米2位の大ヒット!
バンドは73年に解散しますが、ジム・ピートリックは「サバイバー」を結成し、
シルベスター・スタローンの『ロッキー』シリーズのテーマ曲『アイ・オブ・ザ・タイガー』『バーニング・ハート』を大ヒットさせてます。
⑦『恋のかけひき』(71年)……ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ
1970年にデビューした、「T ・ボーンズ」のメンバーだった ダニー・ハミルトン 、 ジョー・フランク 、 トミー・ジョーンズ の3人によって結成された「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」。
ダニー・ハミルトンは、ベンチャーズで有名な『ダイヤモンド・ヘッド』の作曲者。
デビュー・シングル『 Don't Pull Your Love / 恋のかけひき 』71年7月に4位。
この曲は、ソングライター&プロデューサーのデニス・ランバートと、ブライアン・ポッター のコンビの作品。
72年にトミー・レイノルズが脱退。アラン・デニスンが加入。
しばらくは そのままのバンド名で活躍。
75年に『フォーリン・イン・ラブ』が全米1位の大ヒット!
76年に「ハミルトン、ジョー・フランク&デニスン」に変更するも、その後はヒット曲に恵まれず、アルバム1枚、シングル数枚リリースして解散しています。
⑧『 Forgotten Road 』(71年)……イフ
69年にイギリスで、ジャズ・ミュージシャンのディック・モリッシー と、デイヴ・クインシー を中心に結成。
基本プログレッシブ・ロック・バンドなのだが、サックスやフルートを加えている為、《リード楽器》から 《リード・ロック》とも言われてます。
イギリス版の「シカゴ」「ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ」と言われる事もあるそうです。
正直 私 よく知らないんですよ…
でも、曲は良いよね!
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