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シティポップとは? シティポップとは、1970〜80年代の日本で流行した“ポップスの一形態”です。詞やサウンドに「都会的な雰囲気」を含んでいることが大きな特徴、とされています。 「シティ・ポップ」「シティー・ポップス」「シティー・ミュージック」など、その表記や呼び方はさまざまで、おもにレコード会社や雑誌媒体が80年代に使用しはじめたようです。ちなみにその当時は、明確な「音楽ジャンル」として存在したわけではなく、楽曲の雰囲気を形容するとき、まれに使われる程度の単語だったようです。 シティポップの定義 現在「シティポップ」と呼ばれている音楽には、さまざまなジャンルの音楽的要素が含まれています。ソウルやディスコ・ミュージックを基調にしたものから、ロックやジャズ・フュージョン、ブラック・コンテンポラリーなど、“70〜80年代のアメリカのポピュラー音楽”の要素が強く見られます。さらには、サンバやボサノヴァといったラテン音楽などを取り入れたものまで多種多様。 したがって、音楽的な“決まりごと”も存在しないし、作詞・作曲上のルールもありません。ただ漠然と、都会的に洗練されていて、メロウでグルーヴ感もあって…と、その雰囲気だけが形容される不思議なジャンルです。しばしば愛好家同士でも「これはシティポップだ」「いや違う」といった論争が繰り広げられることもあるようです。 ルーツはニューミュージック シティポップは「ニューミュージックのサブジャンル」として捉えることもできます。そもそもニューミュージックとは何か? wikipediaによると…。 ニューミュージック(new music) は、1970年代から1980年代にかけて流行した、日本のポピュラー音楽のジャンルの一つ。作曲面ではフォークソングにロックなどの要素を加え、作詞面ではそれまでのフォークソングの特徴であった政治性や生活感を排した、新しい音楽であった。 ニューミュージックの起源については諸説ありますが、吉田拓郎「結婚しようよ」(1972)や、森進一「襟裳岬」(1974)などが象徴的な曲として挙げられるようです。 1960年代、日本ではフォークやグループ・サウンズといったジャンルの音楽が、多くの若者の支持を得ていました。そんななか、70年代に入ると、フォークをバックボーンにしながら、新しい感覚を持ったミュージシャンたち(井上陽水や荒井由実〈のちの松任谷由実〉など)が続々と登場し、注目されます。彼らは、従来の日本の大衆音楽(民謡や演歌、グループ・サウンズや反戦フォークなど)とは一線を画す、新しいポップ・ミュージックに挑戦し、こうした楽曲が「ニューミュージック」シーンを形成。これがやがて日本の大衆音楽の主流となっていきました。 新しいサウンドと歌詞世界 こうしたニューミュージックには、フォークを基調にしたものだけでなく、ロックやブルース、ソウル、ジャズ・フュージョン、ラテン音楽など、さまざまな音楽が取り入れられ、歌詞の題材も多種多様。従来の邦楽にはないアプローチで、新しい“日本のポップ・ミュージック”を作り上げるミュージシャンたちが続々と出現します。そのなかに、のちの「シティポップ」を形づくる一群がいました。 たとえば、ティン・パン・アレーというグループ。メンバーは、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆(のちに佐藤博が加入)。細野晴臣と鈴木茂は以前、大瀧詠一、松本隆とともにはっぴいえんどというグループでも活動しており、この一団も、のちに(結果的に)シティポップと呼ばれる作品に数多く関与します。 また、彼らと交流の深かった南佳孝や吉田美奈子をはじめ、シュガー・ベイブとして活動していた山下達郎や大貫妙子らも後年、シティポップを象徴するミュージシャンとして認知されることになります。 シティポップの音楽的特徴は? 前出の(細野晴臣らとつながる人脈の)ミュージシャンたちは、「ニューミュージック」という大きな括りの中で、非常に個性的な作品を発表していました。その多くはアメリカのロックやブルースをベースにしたものでしたが、なかには、ソウルやディスコ・ミュージックのビートを採用したもの、さらにはジャズ・フュージョン的な演奏形態を取り入れたものも多く見られます。また、AORやアダルト・コンテンポラリー(注1)と呼ばれる音楽ジャンルとも接近し、そうした傾向の曲が、昨今「シティポップ」として再評価されているようです。 注1:AOR(Adult-oriented Rock)は、80年代の日本で、音楽用語として使われはじめたが、その定義は曖昧。ボビー・コールドウェルやボズ・スキャッグスなどが代表的なミュージシャンとして挙げられることが多い。 アダルト・コンテンポラリー(Adult contemporary music)は、おもに米ポップ・ミュージックにおけるカテゴライズのひとつ。ビリー・ジョエルやニール・ダイアモンドらが代表的ミュージシャンとされる。そのサウンド感は、日本で言うところのAORにも近い。 シティポップといえば、山下達郎や竹内まりや、角松敏生、大貫妙子、吉田美奈子、大瀧詠一などの作品がよく挙げられます。また、こうしたシンガー/ソングライターの作品だけでなく、有名無名を問わず、アイドル歌手や俳優が歌った楽曲、映画やアニメ作品のサウンドトラック、ジャズ・フュージョン系の作品など、さまざまなアルバムや楽曲が「シティポップ作品」として脚光を浴びています。 【関連記事】 はじめてのシティポップ─ 不動の定番アルバム なぜいま再評価された? こうしたシティポップ作品が「再発見」され、脚光を浴びはじめたのは90年代の初頭。きっかけは日本のDJカルチャーでした。レア・グルーヴと呼ばれるムーブメントの中で 、いくつかのシティポップ作品が “かっこいいダンスミュージック”として再評価。これは当時の渋谷系と呼ばれるムーブメントとも少なからず関連がありました。 さらに、2000年代に入ってからも、一部の音楽愛好家たちが “和製AOR” という枠組みで再評価。ガイド本なども出版され「良質でユニークな “和モノ”レコード」がさまざまな角度から検証され、一部の人気作品は中古レコードの価格も高騰しました。 外国人による評価 その一方で、海外の “ニッチな” 音楽マニアたちも日本のシティポップに注目します。 日本のシティ・ポップをあつめたコンピレーション・アルバム『Pacific Breeze』。アメリカの音楽レーベル〈Light In the Attic〉が今年5月に発売。カバー・デザインは、イラストレーターの永井博が手がけている。 その背景には、ヴェイパーウェイヴやフューチャー・ファンクといった新たな音楽ジャンルの流行も関係しているようです。 ヴェイパーウェイヴは、2010年代にインターネットのコミュニティを拠点に広まったジャンルで、おもに80年代の楽曲をサンプリング(引用・流用)して制作。その楽曲にはノスタルジックな心地よさもありながら、資本主義や大量消費社会に対する皮肉も込められているようです。そうした楽曲に、80年代の日本のポップスやフュージョン作品などが数多くサンプリング(引用)され、これをきっかけにサンプリングの「元ネタ」を捜索しはじめた人々が、往年の日本のポップスにたどり着く→原曲の素晴らしさに気づく→さらに同じ系統の日本のポップスを探し始める。という経緯で盛り上がっていったようです。
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