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説明文

東京パラリンピックも近いということで、障害をテーマにしてみました。 やはり、視覚障害者の割合が圧倒的に多いようです。視覚障害者は重労働が困難なため、職業の選択も限定されてきたことでしょう。目が見えない分、聴覚や体性感覚など他の感覚が鋭い傾向があると聞いたことがあります。 ここで扱った以外にも、ウクライナの吟遊詩人によるコブザール、19世紀以来のフランスとイングランドにおけるピアノ調律師などの主役は視覚障害者だそうです。 アメリカのポピュラー音楽にも視覚障害者は大きく貢献をしてきました。今でもカントリー・ブルースと最も強く関係しているそうです。ポピュラー音楽には別枠プレイリストを設けます。 ①中国史上初の音楽家は師曠という、紀元前6世紀に活動した盲人。 曲について、「二泉」は惠山の麓にある天下第二泉(陸羽が定めた喫茶に適した水の第二位の泉)を指し、その水面に映る月がタイトルの意。中国の著名な音楽家である阿炳(本名:華彦鈞 1893年8月17日-1950年12月4日)の代表曲。阿炳は江蘇省無錫市に生まれ。20歳の頃に眼病を患い、35歳の頃には両目とも完全に失明。30歳頃から街頭で歌を唄い、楽器を奏でて生計を立てた。 ②日本では「琵琶法師(実際の仏教僧侶ではないが、僧衣を着て剃髪していた)」と呼ばれた、主に盲目の音楽家たちによる盲僧琵琶が発達(6世紀に大陸から伝来したとする説あり)。13世紀に「平家物語」に代表される平曲という弾き語り音楽の形が確立。盲目の音楽家という伝統は、南北朝時代に至って幕府公認の盲人の職業団体「当道」を産み、江戸時代の箏曲や瞽女の三味線などに受け継がれた。 ③アイルランドでは、障害児に楽器を習わせる風習がある。Turlough O'Carolan(愛: Toirdhealbhach Ó Cearbhalláin、1670年-1738年3月25日)は、アイルランドの伝説的なハープ奏者・作曲家。18歳で天然痘のため失明。アイルランド各地を旅し、約50年に渡り土地土地の雇い主のための歌を作り歩いた。アイルランドに於て「国民的作曲家」「最後の吟遊詩人」と称せられている。 ④Andrea Bocelli(1958年9月22日-)はイタリアのテノール歌手。12歳の時にサッカーボールを頭に受け脳内出血を起こし、先天性緑内障が悪化して失明。アルバムの全世界売上枚数は9000万枚を超える。 曲は2020年4月12日、新型コロナウイルス流行のため都市封鎖中のミラノの大聖堂で行われた無観客コンサートでの歌唱。YouTubeの同時視聴者数は、史上最大となる280万人にのぼった。 ⑤スペイン人の母を持つラヴェルには、スペインを題材にした作品が多い。貧しかった幼少時代、苦しい生活にもめげず、いつもスペイン民謡を明るく口ずさんでいた母を心の支えにし、深く愛したラヴェル。人前でこの曲を決して褒めなかったが、晩年、交通事故で記憶障害となった彼は、たまたまこの曲を耳にし、「この素晴らしい曲は誰の曲だ?」と口にしたと言う。 曲は盲目の日本人ピアニスト辻井伸行の演奏。 ⑥Leon Fleisher(1928年7月23日-2020年8月2日)は、アメリカ合衆国のピアニスト・指揮者。4歳でピアノを学び始め、8歳でデビュー、16歳でピエール・モントゥーと共演。アルトゥール・シュナーベルにも師事。1952年にエリザベート王妃国際音楽コンクールピアノ部門で第1位入賞するも、局所性ジストニアを患って1960年代に右手の自由を失った。その後、2000年代にボトックス療法によって右手が回復するまで、左手だけのレパートリーによって演奏を続けた。 曲はブラームスが、ピアニストのクララ(師シューマンの妻。ブラームスは密かに恋していた)が右手に怪我をしていた時期に、バッハの当曲を左手ピアノ演奏用に編曲したもの。 ⑦第一次世界大戦で右手を失ったPaul Wittgenstein(1887年5月11日-1961年3月3日)の依頼を受けてラヴェルが作曲。 ⑧ベートーベンは持病の難聴が徐々に悪化し、28歳の頃には最高度難聴者となり、31歳の頃には自殺も考えた。しかし、芸術への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越えた。1804年に発表した当曲はその記念碑的作品。 フルトヴェングラーによる、第二次世界大戦下の録音。
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