ラテンもイイね☀️
2018.01.21✨
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ベサメ・ムーチョ Besame Mucho
メキシコの女性音楽家コンスエロ・ベラスケス(1924-2005)が1940年に作曲
ベラスケスはこの曲を16歳の誕生日前に作った。
「Besame Mucho」はスペイン語で、「私にたくさんキスをして」という意
☀️m2
キサス・キサス・キサス
キューバのオスバルド・ファレスが1947年に作詞、作曲
トリオ・ロス・パンチョス(メキシコ)の演奏で世界的にヒット
題名「キサス・キサス・キサス」は「たぶん、たぶん、たぶん」という意
歌詞は「自分(男)が恋人の女性にいろいろと問いかけるが、女性はいつも「たぶん」としか答えてくれない」といった内容
☀️m3
マンボ No. 5
キューバの音楽家ペレス・プラードが1950年に作曲したマンボの曲
マンボの中では最も有名な曲の一つ
ペレス・プラードは、キューバのバンドリーダーで、マンボ王とも呼ばれてる
作曲者のペレス・プラードは1940年代にルンバにジャズの要素を取り入れた新しいリズム「マンボ」を演奏し始めるが、キューバ国内ではあまり評判がよくなかった。
そこで、1948年にメキシコシティへ移住し、ペレス・プラード楽団を結成、一躍人気アーティストとなる
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マリア・エレーナ Maria Elena
メキシコの作曲家、ロレンソ・バルセラータが1936年に作詞、作曲した歌曲
この曲はメキシコ大統領ポルテス・ギルの夫人、マリア・エレーナに捧げられ、メキシコ映画「マリア・エレーナ」にも使用された。
1958年ブラジルの甘いトーンのギターサウンドで一世を風靡した、ロス・インディオス・タバハラスが演奏して、1962年の全米トップチャート入りを果たした
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リベルタンゴ
アルゼンチンの作曲家でバンドネオン奏者のアストル・ピアソラが1974年に発表した曲で、ピアソラの代表曲でもあり、世界中で知られているタンゴの名曲
リベルタンゴLibertangoとは、「自由libertad」 と「タンゴtango」 と合わせて作った造語
ピアソラがイタリアに滞在していた1974年に作曲
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バナナ・ボート・ソング
または
デイ・オー(Day-O)
ジャマイカの民謡の一形態であるメントの曲
オリジナルはジャマイカで歌われていた労働歌
歌詞の内容はバナナを積み出す港で働くジャマイカの労働者が、深夜のバナナ収穫船への積み込みを終えて「朝日が昇ったから家に帰ろう」と繰り返し歌っている。
最もよく知られているバージョンは
1957年にニューヨーク出身の黒人歌手ハリー・ベラフォンテが唄ってアメリカ合衆国で大ヒットしたもので、ハリー・ベラフォンテの代名詞にもなっている。
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ある恋の物語 Historia De Un Amor
パナマの実業家カルロス・エレタ・アルマランが作詞、作曲し、1955年に発表したボレロの曲
トリオ・ロス・パンチョスによって演奏されて大ヒット
歌詞は、作曲者自身の妻(または兄弟の妻)を亡くした悲しみを歌った曲とされている
1956年に同名の映画挿入歌となった。
トリオ・ロス・パンチョスを始めとして、ペレス・プラード楽団によるメロディだけの演奏もよく聴かれる。
日本でもアイ・ジョージやザ・ピーナッツをはじめ、いろいろな歌手がカバーしている。
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アマポーラ Amapola
スペイン出身の作曲家ホセ・ラカジェが1924年に発表したポップ・ミュージック
ホセ・ラカジェはスペインのカディスで生まれ、アメリカ合衆国に移住し、1924年この曲をスペイン語の歌詞で発表した。
「アマポーラ」はスペイン語でヒナゲシの花の意。
ヒナゲシの花を愛しい人に見立てたラブソング。
日本では1984年に沢田研二の他、山下達郎、ボニー・ジャックスなど多くの歌手がカバーしている。
また、日産自動車のCMに使われたナナ・ムスクーリのカバーもよく知られている。
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